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大阪地方裁判所 昭和42年(わ)659号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕被告人山城繁は、当時大阪、市大正区付近に勢力を持つていたいわゆ・やくざの団体大日本平和会系久保組傘下の球友会会長瑞慶覧長康の若衆、被告人上間こと豊里友一は、右瑞慶覧方に出入りしていた同人の事実上の若衆、被告人円野正弘は、右瑞慶覧の舎弟、被告人豆田嘉兵は、右円野方に寄寓して右瑞慶覧方に出入りしていた者、被告人中本章悟および同福江こと池田政男は、いずれも右久保組の若衆頭であつたが、

第一 被告人山城、同豊里は、昭和四二年二月一七日午後六時一〇分ごろ大阪市大正区大正通一〇丁目二九番地の「だるま」パチンコ店において、伊佐よし彦と共にパチンコ遊技をしていたところ、同店内に居合せた前記久保組と反目関係にあるやくざ団体神戸山口組系相沢組の準組員山本和夫(当時一八歳)より「面を切つた。」と言われて同人と口論になり、被告人両名は右伊佐と共謀のうえ、被告人山城において山本の胸ぐらをつかんで店内に押し倒し、馬乗りになつて、手拳で同人の顔面をなぐりつけ、さらに被告人豊里および伊佐と共に、こもごも同人の顔、頭等を踏みつけ、あるいは蹴るなどの暴行を加え、よつて同人に対し加療約一週間を要する顔面、左肘挫傷の傷害を負わせ、

第二 被告人六名は、右第一記載の被告人山城、同豊里らの山本和夫に対する傷害行為に憤激した前記相沢組組員らが、これに報復すべく右山城、豊里らおよび球友会会長端慶覧長康の行方を探し始め、その間、前記久保組若者頭である被告人中本と相沢組幹部との話合いによる事態の解決も望めなくなり、相沢組においてその報復措置に出る不穏な気配が感じられたので、球友会事務所のある右端慶覧方に対しいわゆるなぐり込みをかけて来るに違いないと考え、相沢組組員らが襲撃して来た際にはこれを迎えうつて、同組員らの生命、身体に対し共同して害を加える目的で、前同日午後九時ごろ(被告人池田は午後九時四〇分ごろ)から午後一〇時三〇分ごろまでの間大阪市大正区北恩加島町八三番地の右瑞慶覧方において、被告人らを含む久保組組員および球友会会員ら合計約二〇名と共に、被告人円野、同豆田において共同して日本刀一振(昭和四二年押第一一一一号の4)、同中本において日本刀二振(前同押号の1、3)、および右円野、中本において久保組副組長藤原亀三郎らと共同して猟銃一丁(前同押号の2)の兇器を準備し、被告人山城、同豊里、同池田において右日本刀、猟銃などの各兇器の準備があることを知つて、いずれも集合し、さらに、被告人山城、同豊里、同円野、同豆田は、被告人中本ら久保組組員があとを球友会会員らに任せて同所を引揚げた後も、前同様目的で、引続き午後一〇時三〇分ごろから午後一一時五五分ごろまでの間同所において、球友会幹部伊波秀安、同沢和正を加え合計約七名と共に、集合を続け、

第三 一、被告人山城、同豊里、同円野、同豆田は、前記第二のごとく、中本ら久保組組員が引揚げた後大阪市大正区北恩加島町八三番地の瑞慶覧方に残つて相沢組の襲撃を待ちうけることになつたので、被告人円野らの命により、同家階下奥にある球友会事務所の出入口内側に畳二枚を立てかけ机などで支えてこれを塞ぎ、室内の電燈を消すなどして応戦に備え、同家二階において、被告人山城が前記猟銃一丁を持ち、被告人豊里、同豆田らが前記日本刀のうち各一振を携えて見張りをするうち、まもなく相沢組の者が乗用車一台で中本らをたずねて同家表路上に現われ、円野より中本のいないことを聞いて引き返したので、相沢組において瑞慶覧方の様子を探つたうえでいよいよなぐり込みを始めるものと考え、右被告人四名は、前記伊波秀安、沢和正らと共謀のうえ、相沢組組員らを撃退するため右各兇器を用いて同組組員らに対し攻撃を加える決意を固めるに至り、同日午後一一時五五分ごろ、右二階の表通りに面した窓際で見張りをしていた被告人山城が、再び表路上に到着した二台の乗用車から相沢組組員約一〇名が下車して前記階下「シルバー」の出入口に向かつてやつて来るのを認めるや、「相沢組が二台の車で来た。」と叫んだので、他の被告人三名もいよいよなぐり込みが始まつたものと考え、これに応戦すべくそれぞれベランダに飛び出し、前記相沢組の車一台がやつて来て以来猟銃の発射により相沢組組員らを死なせることになつても構わない覚悟を固めていた被告人山城自身は、実包を装てんした右猟銃を右組員らに向けて構え、被告人円野は、とつさに、右山城と同様の覚悟を決め、被告人山城に対し、「早う打たんか。なぐり込みやないか。」と叫んで発砲を促し、両名共謀のうえ、山城において右ベランダより約一〇メートルを距てた右相沢組組員らに向けて前記猟銃の引き金を引いて散弾を一回発射し、驚いて逃げようとする右組員らに対し山城が二度目の発射に手間どるのをみた右円野が、「しげる、何しとるんか。打たんか。俺にかせ。」と言つて山城より右猟銃を取ろうとする間に、山城はさらに一回発射し、うち一回の散弾を右組員田中歳和(当時二二歳)の前額部等に命中させ、よつて同人に対し前額部銃創による脳挫砕等の傷害を負わせ、同月二六日午後五時ごろ同市西区南堀江大通一丁目一番地の大野病院において、右傷害に基づく脳機能障害により同人を死亡させて殺害し、

二、被告人中本は、前記第二のごとく、他の久保組組員らと共に瑞慶覧方を一旦引き掲げた後、右第三の一記載の被告人山城外三名の犯行にあたり、前同日午後一一時ごろ大阪市大正区千島町の知人末富隆司方において、前記円野より電話で、瑞慶覧方へ相沢組の者が中本を探してやつて来た旨の報告を受けた際、右円野に対し、「どうして打たなかつたのか。」等と右円野、山城らが始め乗用車一台でやつて来た相沢組組員らに対し猟銃を打たなかつたことで右円野を叱咜し、山城の右組員らに対する猟銃発砲の決意を強くさせ、もつて右両名の右一記載の犯行を幇助し、……

(当裁判所の判断)

一、判示第三の一の罪につき被告人豊里、同豆田を傷害致死の刑で処断した理由

昭和四二年四月二八日付、同四四年三月一八日付各起訴状の公訴事実によると、被告人豊里、同豆田はいずれも前記被告人山城らと共謀のうえ前記田中歳和を殺害したものとして起訴されているのであるが、当裁判所は以下の理由により右両名の罪責を傷害致死の限度にとどまるものとした。

すなわち、取調べた各証拠を総合すると、昭和四二年二月一七日被告人山城、同豊里らの判示第一の山本和夫に対する傷害の事実を発端として、相沢組組員が右山城らに報復を企図し、同被告人らの所属する球友会の会長やその上部団体ともいうべき久保組組員らを探すなど不穏な動きを示し始め、久保組若者頭である前記中本に電話で右報復の意図を伝え、話合いで事を収めることが不可能な事態になつたので、久保組組員、球友会会員らは判示第二の瑞慶覧方における兇器準備集合に及んだのであるが、同日午後一〇時三〇分ごろに至り、久保組組員らは、巡査派出所に近い瑞慶覧方に大勢が集合しているのもまずいし、また、事件の発端は直接には球友会に関することであると考え、連絡場所を伝え、判示各兇器を球友会会員に委ねたまま同所から引揚げたので、球友会会員らは判示のような応戦の準備をして瑞慶覧方二階で待機するに至り、まもなく相沢組組員が乗用車一台で同家表路上に来て中本や瑞慶覧の所在を尋ねるに及び、いよいよなぐり込みのため様子を探りに来たものと応戦の覚悟を固め、同日午後一一時五五分ごろ二台の乗用車で再び表路上に来た相沢組組員らに対し、山城が判示猟銃を発射し、その結果田中歳和を殺害するに至つたことが認められる。

ところで、右球友会会員らが残つて待機した際の山城、豊里、円野、豆田の意図をみると、前記具体的な応戦の準備および相沢組の車一台が来たことによる襲撃の切迫感等からみて、右被告人らの気持やその場の雰囲気は極度に緊張を増し、従つて被告人らの右意図も、機会さえ生ずれば直ちに応戦行動に出る程度に高まつたとみられるのであるが、相手方に対する現実の加害行動に出ることは、なお相手方のなぐり込みの機会の発生にかかつているのであり、どのような状態でなぐり込みが行われ、その際各被告人らがどのような応戦の場に立たされるかはまだ未定の段階にあるのみならず、相沢組組員らに対する右加害の意図も、傷害か、殺人かの点でなお概括的なものであつて、このような各被告人らの精神状況をもつてする意思連絡につき、各被告人一律に殺害の結果を生ずるような行動に出る決意を有したものとしてその共謀を認めることは妥当ではないと思料される。

もつとも、被告人山城は球友会会員による集合の当初から判示猟銃をもつて応戦する意図を有していたもので、被告人円野からその発射の操作を習い、しかも、乗用車二台から降りてくる相沢組組員らを目前約一〇メートルの距離において、その方に向けて発砲したのであるから、たとえ発射されるものが散弾であることの認識を欠いていたとしても、少くともいわゆる未必的殺意をもつて右行為に及んだとみるほかなく、被告人円野も、右猟銃の操作を山城に教えたのみならず、判示のごとく山城の発砲を促した事実が認められるので、その殺意に関しては山城と同様に考えうるのであるが、被告人豊里、同豆田については、それぞれ日本刀を携えて応戦を決意し見張りについていた以上、少くとも傷害の意思は明らかであり、右意思の限度による山城、円野との共謀は疑いないとしても、前述の理由および右山城の発砲が、相沢組組員らを判示路上に認めた時の突嗟の行為であり、豊里、豆田にとつてはまだ日本刀をもつて攻撃に出る事態にまで至つていないことをも併せ考えると、右発砲の時点においてもなお右両名の殺意はこれを認めることはできないのである。右両名の前掲供述調書中には、「相手を殺すところまでいくと考えていた。」とか、「殺傷の覚悟を決めた。」等の記載も見られるが、右は前記の理由により、集合罪における共同加害目的の内容としてはともかく、これをもつて殺人故意を認めることはできない。

したがつて、被告人豊里、同豆田につき傷害の故意の限度で共謀を認定し、刑法三八条二項により傷害致死の刑で処断することとした。

二、判示第三の殺人の点につき被告人中本を従犯とした理由

昭和四四年三月一八日付起訴状公訴事実によると、被告人中本は前記田中歳和殺害につき、被告人山城らと共謀のうえ右山城において右田中を殺害したとして、いわゆる共謀共同正犯として起訴されているので、右共謀の点について検討する。

被害者田中を殺害するに至つた経緯の概略は、すでに被告人豊里、同豆田についての判断に際し前項に述べたとおりであるが、取調べた各証拠を総合してこの間における被告人中本の行動をみると、まず、同被告人が昭和四二年二月一七日午後七時前ごろ、当日の久保組事務所当番であつた宅島久夫から、相沢組とのもめごとが起こつたとの報告を受けて以来、前記瑞慶覧方への久保組組員らの参集、山城からのもめごとの事情聴取、相沢組若者頭中山義弘らとの電話による話合い、当日の前記各兇器の準備、球友会会員らにあとを任して久保組組員を引揚げさせた経過等、当日の瑞慶覧方における集合を通じ、右中本は久保組若者頭の立場でその主導的ないし中心的役割を果たしたこと、右瑞慶覧方を引揚げるに際して球友会会員らの待機する同家二階に上り、被告人円野らを励まし、その後の連絡場所を指示したことが認められ、また殊に、被告人円野の司法警察員に対する昭和四二年四月一三日付、検察官に対する同月一七日付および被告人豊里友一の検察官に対する同月二八日付各供述調書等によると、中本は知人の末富隆司方に赴いて後、円野に対し電話でその後の情勢を問合せた際、円野から瑞慶覧方に一度前記中山らの相沢組組員が瑞慶覧や中本をたずねて来た旨を聞き、なぜ打たなかつたのかと円野を叱つたことなどの事実を認めうるのである。

そこで、右中本の行動および当時の情況からみて、その後の被告人山城の発砲による田中歳和殺害行為につき中本にその共謀があつたとみられるか否かの点であるが、まず中本が瑞慶覧方における兇器準備集合(判示第二の事実)において有したいわゆる共同加害目的との関係についてみるに、右集合において中本に相沢組組員らの生命、身体に対する加害目的があつたことは明らかであるが、この目的は、右法益に対する侵害の意図だと一応言えるとしても、いわゆる概括故意として論じられる意思よりもさらに広般な意味において概括的であり、また、現実に対象を認識してこれに対する加害行為に出る際の意思とは異なるのみならず、積極的に攻撃に出るため集合する場合はともかく、本件のように相沢組の襲撃に備えたいわば防禦的な場合にあつては、抗争の機会が到来するか、さもなければその到来の蓋然性の極めて高まつた状態に達しない限りは、加害目的を故意と同視することは相当でないと考えられる。従つて被告人山城の田中殺害の行為が右瑞慶覧方の集合に引続いて行われ、被告人中本が山城らと共に、たとえ生命侵害を生ずべき行為に出ることを含む加害目的を共通にして、右集合に参加していた事実はあるにしても、これをもつて直ちに中本に殺人についての共謀があつたとすることはできない。

そうすると本件では、殺人の故意があると認められる段階に達した後の中本と山城らとの明示ないし黙示の共謀を認めるべき事実があるか否かが問われることになるが、前述の中本が球友会会員のいる瑞慶覧方二階の様子を見に上つて円野らを励ました行為……についてみると、右は久保組組員らが同所を引揚げる際のもので、相沢組の襲撃が切迫しておれば引揚げは通常考え難いことからみても、中本をはじめ集合者らの意図はいまだ前記加害目的の範囲を出るものではなく、そのような状態での右中本の激励は共謀認定の資料とはなり得ないこととなる。

……前述したとおり、中本は瑞慶覧方を引揚げた後末富隆司方から円野に電話してその後の様子を尋ね、円野から、一度相沢組の者が一台の車でやつて来たことを聞いた際、「どうして打たなかつたか。」と円野を叱つたこと、および、そのころまでには球友会会員らは瑞慶覧方階下の球友会事務所出入口も塞ぎ、室内の電燈を消して球友会会員の力で応戦しようと準備を整えており、ことに右相沢組の車一台がやつて来たことを様子を伺いに来たものと考えて、いよいよなぐり込みがなされるものと覚悟し、従つて相沢組組員らに対し前記猟銃、日本刀をそれぞれ使用して加害行為に出る決意(故意)を固めていたことが認められるのであるが、右電話連絡の時点における中本の山城、円野らとの共謀を認めるためには、中本が山城、円野らを実行行為者としてこれと一体となつて相沢組組員に対する殺害行為をみずから犯罪として意図したことを必要とするところ、前記各証拠を総合して瑞慶覧方を引揚げるに至つた経緯をみると、相沢組との紛争の原因は直接には山城、豊里ないしはその所属する球友会に関する事柄であり、球友会事務所のある瑞慶覧方が当日の集合場所であつたことなどから、当面は球友会会員らの手で相沢組に対抗し、事態によつては久保組が応援するという趣旨のもとに引揚げがなされたと考えられ、その後久保組組員は一時旅館等に待機したとはいえ、中本の認識している限りの兇器はすべて球友会会員の手に委ねており、また、同会員との連絡方法を打合せてはいるが、中本らにおいて待機場所から球友会会員らに対し特に積極的な指示を与える方法もとつておらず、右会員と協同して相沢組に応戦しようという緊密な関係までは認め難く、一方球友会側としても、前記相沢組の車一台が来たことについてさえ積極的には久保組側に報告せず、またその他特に指示を受ける行動をとつていないことなどからみても、瑞慶覧方に残留後は必ずしも中本をはじめ久保組組員らに依存していたとは認められないのであつて、右電話連絡の時点において中本の共謀を認めることも困難である。

その他被告人中本の本件共謀を認めるに足りる証拠も見当らないので、同被告人につき田中歳和に対する殺人の正犯としての罪責を認めることはできないが、同被告人のなした前記電話による叱責は、相沢組組員らに対する猟銃発砲の意思を固めてその襲撃を待ち構えていた被告人山城らに気勢を添えて右意思を強めさせ、発砲行為を容易ならしめたものとして、幇助行為とみるのが相当である。

(原田修 井上隆晴 松本克己)

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